みやびんの日常

日常のどうでもいい話をぶつぶつ言います。たまに、胡散臭い話もします。

肉体の終わり

今日はちょっと重い話でぃす。ので、嫌な人は逃げて!w
とりとめなく、つらつら書いてみます。

アラフォーもすぎ、アラフィフに突入して、江戸時代ならもう平均寿命で、ほとんどの人がこの年まで生きているのが難しいと言われていた年齢になりまして。

親世代の周りの人らなんかは、順当にお迎えが来てたりする話をよく聞くようになりました。

「死」は、悲しい。「死」は、怖い。
死が怖いのは、「未知」だから。未知の世界に恐怖心を抱くように、私たちはできているらしい。

寿命をまっとうして穏やかに訪れる死もあれば、理不尽な死もある。
戦争なんかは、まったくもって理不尽な死であると思うので、私はやはり戦争は反対です。
でも、仮にどこかの国が攻めてきたら「戦争は反対である。私は戦いません」という立場を貫いて、大人しく殺される覚悟はするつもりです。
わかんないけど。率先して、ばばぁなのに戦いに行くかもしれないけどw

今、問題になっている憲法改定の話でも、若者たちは「戦争には行きたくないから反対!」という声が多いそうな?
まぁ、そらそうだよね。
小さい頃から「戦争は、ダメ。絶対」って育てられてきてるんだもん。
今でも、メディアでは、戦争は悲惨。これを繰り返してはいけないと盛んに番組やってるじゃない。

でも、なら、どこかの国が攻めてきたらどうするのか?
ピンチになっても、今の私たちに、ドラえもんは、いないのである。
飛んできて助けてくれるスパイダーマンも、アトムもいないのである。

ヒトに唯一与えられているのは「選択の自由」「自由意志」だと思うんです。
「自由」には責任が伴います。言葉とは裏腹に、とても重いものです。

「戦争は反対。戦いません」という選択をするなら、それによって理不尽に殺されるかもしれない覚悟が出来てるのかなと、ふと思うわけです。
繰り返しますが、ドラえもんはいないんですよ。(・・早くできるといいねw)

※かといって、私は憲法改定に賛成してるわけでもありません。というか、決まった事には従うしかなかろうと思っています。
 起きていない未来の事を「今」考えても仕方ないので、何かコトが起きた時に考えます(戦うなり、殺されるなり)

さて、私の親世代は、戦争をくぐり抜けて生き残ってきた人達であるせいか、とても丈夫な人が多いと思うんだけど、それだけに、一度ならずも「死ぬかもしれない恐怖」というのを味わっているわけです。


「死にたくない!」と子供の頃に強烈に思っていた世代でしょう。
だから、強いんだと思う。
持ってるパワーが、今どきの私達のような、なまっちょろさとワケが違う。

生きる事に精一杯な時は、自ら死ぬ事など考えられないのが人のサガ。
(ただし国による洗脳によって自害された人達はいましたが)

私も何度か死にかけましたが、あぁ、死ぬかもしれない・・と思うと、その時は、とても怖かったです。
1度目は小学生だったし。
なので、自死を選んでしまう人の勇気?は、逆に凄いなと思います。(称賛しているわけではありません)
それだけ、心が限界にきてしまっているのでしょうけど・・。
「死」は、金持ちにも貧乏人にも誰しも平等に訪れるものです。
なので、あえて急ぐ必要はないとは、思います。
幸福だけの人生も、不幸だけの人生もありません。それがこの世の法則です。

でも、普通は「死」について、怖いからあえて、考えたくない、考えないようにしている。

けど、死なない生物はおりません。
いくら若くても、今は元気でも明日何があるかわからない。

という事で、そろそろエンディングノートなどの準備を始めようかなと思っている所です。
残された人が混乱しないように。
まぁ、私は、連絡する人リストとか、私物の処分関係くらいだけど。
特に旦那・・・もし先に逝かれたら税金関係なんかが、もうサッパリわからないので、ちゃんと整理してわかるようにしてといて下さいw
大混乱になりますw

ちなみに現在の私の死生観は「還る」だと思っています。
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