ドォォォォォォ━(゚Д゚)━ォォォォォォン!!!
前に下書きで書いたやつあげちゃうー。
図書館で本を借りて読んだり、浅めに知った限りの知識で書きます。
間違ってたらごめんなさい(・ω<) テヘペロ
さて、お釈迦さんもジーザスさんも、自分で今の教典や聖書の記録を残している訳では無いんですね。
この場合、両方ともお弟子さんが記録したモノみたいです。
ちなみに、神道の「古事記」や「日本書紀」は、稗田阿礼(ひえだのあれ)さんという人が全部、歴史を記憶していて、それを整理して書き起こしたらしいです(ウロ)
友達から借りた「ラノベ古事記」結局、読めずに返した(笑)
何かファンタジーにしてもピンと来なくて💦
実際に神社に行って、古事記の神様っているのかなあって思っちゃってて。
話を戻して。
仏教で言うとお釈迦様はインド人(になってるけどアーリア人とかの説もあるのかな?)ですが、使っていた言葉が「サンスクリット語」でした。
このサンスクリット語の仏教の教えがシルクロード経由で中国に入ったのかな?
で、中国で
サンスクリット語→中国語
へ翻訳されたんですね。
これは、うちの住職に教わったのですが、般若心経などによく出てくる「苦」の意味ですが、本来のサンスクリット語では
「どうにもならないこと」という意味だそうです。
中国語に翻訳された時に「苦」の字が変換され、そのまま日本に来たんですかね。
ちなみに「諸行無常」を英語に変換してみたら
「Impermanence Moroyuki」
もろゆき?→逆変換かけたら、はかなさ と変換されました。
英語で日本のワビサビ的な言葉とか、表すの難しい気がする。
サンスクリット語から中国語もこんな感じやったのかな?知らんけど(笑)
話を戻して。
なるほど.........。
「人生は苦である」
てゆーと、確かにそうだけどなぁ。てなるけど
「人生はどうにもならないこともある」
てなると、うん、それのがシックリくる!て思いました。
なので、お釈迦様の教えといっても、それを解釈する人のフィルターがかかると、また違うものになるし、聖書も今はまだ知らないですけど、そうなんじゃないかなと。
で、いま日本に広まってる仏教は
「慈悲の教え」=「大乗(だいじょう)仏教」
と言うそうです。
インドから中国など南経由で来たものは、この大乗仏教にあたるらしいです。
インドからタイなど北経由で広まったのが
「悟りを目指す教え」=「上座仏教」
というそうです。
あと、日本でfamousになった仏教の開祖は、もれなくみな「たくみな文筆家」であったらしいです。
きちんと開祖が残した教典があるんですね。
なので、とても素晴らしい開祖もたくさん昔はいたらしいんですが、文書で教えを残さなかった宗派は、あまり広まらなかった。
と、本で読んで、なるほど。と、思いました。
て事は、お弟子さんが書いたのに世界三大宗教とまで言われている仏教とキリスト教は、お弟子さんが優秀だったと言う事なのかな、とも思ったんですけど、逆に「グウの音も出ない」ほど、みなに「それな!」て思わせるチカラが、やはりブッダとキリストにはあったのかな、と言うことで。
あとね!
「愛」という言葉。
日本には元々「愛してます」という言葉の概念がなかったそうです。
懸想(けそう)とか、お慕いしています。とかだったと。
明治時代に「Love」をどう翻訳する?って事で、愛になったんだって。
でも日本で使われてた愛は、仏教用語で、愛欲とか愛別離苦とか?
どちらかというとネガティブつか、戒め的な感じで使ってたから、現代の人が普通に愛という言葉を使おうとすると、違和感を感じるのはそのせいらしい。
なるほど。愛してる😘なんてとても言えない(笑)
歌の歌詞か。みたいな違和感あるよね。
大好き!の方がLoveを表してる気がするー。
以上、まとまりませんでした(いつも)